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2019年8月10日 (土)

日本橋アンテナショップ巡り

美々卯に行ったり、国立映画アーカイブで古い邦画をみたりと京橋にはちょくちょく足を運んだ。それで隣町の日本橋の状況を探ったら、各県のアンテナショップが揃い踏みしていたのでぐるりと回ってみた。

一等北にある日本橋ふくしま館には阿闍梨餅のフォロワーの中では至高の出来である三万石の「三千里」が置いてなくて残念。みえテラスは品揃えも豊富で、飲みなれた「瀧自慢純米大吟醸」も置いてあったが、これという品に欠きここもスルー。奈良まほろば館では柿の葉寿司があったので買ったが、米が乾燥していて今一つ・・・
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島根にほんばし館では松江の銘菓「若草」を買おうと思ったら売り切れ。ブリッジにいがたとここ滋賀はこじんまりとしすぎていて商品が少なくスルー。

ようやく目当ての品があったのは「日本橋長崎館」で、商品の展示がかなり上段の方まであって、どこかヴィレッジヴァンガードのように感じられて購買意欲をくすぐる。目当ての「カスドース」は入り口付近で発見。試してみたかっただけなので、二個入り500円のものが置いてあったのも有難い。
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帰って食べると、ザラメがまぶされたフレンチトーストといった感があるものの、想像よりは甘くなくさっぱりとしていて面白かった。
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色々回って一番良かったのは「日本橋とやま館」。工芸品の展示に地酒が楽しめるバーカウンターと食事処も備え、更には観光相談できるカウンターまである。それでいて空間を広くとっているからゴミゴミした感じはなく、ゆったり見て回れる。
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それに商品がいい。和菓子は「薄氷」というものを買ったが、これは食通池波正太郎の師匠筋にあたる小島政二郎が推奨文を書いている。小島某といっても、今の世の中では知る人もほぼ皆無であろうが、この菓子を広く全国に紹介して店が盛業となった恩を忘れない気風が感じられて好ましく思う。
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湿気を防ぐために真綿にくるまれたそれは、口に含むとしゅるしゅる・・・と溶け出して、気づくと淡い甘みだけを舌に残して跡形もなく消えてしまう。なるほど薄氷とはよく言ったもので、その銘に偽りはない。最後にそこはかとなく切なさを覚え、その感じが寂びの残心を思い起こさせて趣深い。これは良い菓子を知った。
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それから「月世界」というのも買ってみたが、これまたふわしゅわっとした寂び系のもので、富山の人はこういう感じを甚く好むのだと知った。

酒のつまみには鯖の麹漬けを買ったが、程よい酸味と麹の旨味が相まってきりっと冷えた日本酒によく合って美味しい。これが500円というのは随分お得に感じた。
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富山と言えば氷見の鰤があるから、冬になれば同じく麹を使ったかぶら寿司もきっと旨いだろう。季節の愉しみが一つ増えたアンテナショップ巡りだった。

2019年7月25日 (木)

梅雨寒の食卓と京橋美々卯

川島雄三が贔屓にしていたと聞き及んで行きたいと思っていた京橋の「美々卯」。界隈には往時日活も大映も本社を置いていたから、きっと川島は給金が出たら会計係から現金を鷲掴みにしてすぐそばの「美々卯」で腹ごしらえをしてから、銀座の綺麗どころが揃ったクラブへ繰り出してしこたま飲むなんてことをしていたのだろうな・・・と夢想したが、ここの美々卯は70年代に入ってから出来たそうで、彼は既に彼岸の人となっていたから行きつけにしたのは関西にシャシンを撮りに行った際に立ち寄っただろう本店の方らしい。

梅雨寒が続き、よく覗いているブログの方が夏限定の鱧しゃぶすきを堪能しているのを見て、今こそと思い立って重厚な店の門をくぐる。勝手にお座敷が多いのかと思ったら半個室のテーブル席がほとんどで、来店客の年齢層から車椅子でも楽に入退店できるように改築された模様。ここにも我が国の老いの影を見る思いがした。
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予約の時に「一人前は鱧しゃぶすき、もう一人前はうどんすき」とお願いし、まずは出汁がたっぷり出る鱧しゃぶすきから始める。骨の炙ったもので風味付けをするあたりの演出が心憎い。
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脂っ気はあるものの、あくまでふわふわとした鱧にはやはり薄口の出汁がよく合うし、鱧を出汁で振っている内に表面に浮かんでくる脂がキラキラ黄金色に輝いて美しかった。ここに通常のうどんすきを入れて食べたが、ほんのり鱧の脂が回って絶妙のコクを与えているので実に美味しい。

それに出汁味に飽きないように添えられた粉山椒がまた鮮烈な香りで実にいい。あまりに気に入って帰りに土産として買ってかえってしまったほど。
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突き出しも夏らしいものだったし、刺身も手抜かりなく、全体に調子の整った味でとても満足した。
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その後も梅雨寒は続き、ジメジメと日照不足で気が塞いでしまったので、湿気払いに鰻を買ってきて早めの丑の日を自宅で開催。例によって戸越銀座の双川で蒲焼を買ってくる。
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流石に一串1,400円からとなっていたが、今は店で旨いうなぎを喰おうとすれば、四~五千円は覚悟しなければならないから随分安く済んで有難い限り。

これも双川で買ってきた立派な北海道産の土用蜆は椀にして、
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自家製白瓜と茄子の糠漬けも艶があって美しく、なかなかの膳に仕上がった。
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それでも中々梅雨は開けず閉口したが、再度鱧にご登板願って再々の湿気払い。今は鱧の骨切りしたものが業務用にパック詰めされて出荷されているようで、近所の魚屋でそれを買えたし東京でも手に入りやすくなった。玉子豆腐と冬瓜をあしらった椀は上品に仕上がって、これも梅雨の鬱陶しさを薙ぎ払うのに最適な菊正宗の樽酒ともよく合って美味しい。
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鰻の時のタレを残しておいたので、塗り付けて照焼にしたらまずまずの仕上がりで美味しかった。
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蛤は霞煮にし、豊潤な旨味を堪能。
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止めに土用丑の日には穴子を買ってきて煮穴子にして食べたら、身質が滑らかでほんのりとした脂っ気が乗っていて、上品な美味しさ。やっぱり関東では鱧ではなくて穴子だなと思わされた。いずれにしろ、記録的な梅雨寒をにょろにょろする奴らのお陰で乗り切れたのは有難い限り。

2019年4月15日 (月)

東京から18きっぷで行く日帰り旅:東海道中花見酒2

昼からビールを呑み、うららかな春の日差しを浴びて微睡んでいる内に興津に着く。愛想のない合理一辺倒の駅舎がJR東海らしくて可笑しい。
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駅から南へ少し行ったところを走る東海道は整備されていて、昔日の面影は少ない。
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ただ目当ての水口屋址は塀が高く聳えていて、わずかに往時を偲ばせる。今はギャラリーとして縁の品々を展示しているが、流石皇室も宿泊するだけあって抱一や探幽の掛け軸があり、明治の顕官達の揮毫も数多ある。岩倉具視の書は素人でも達筆であることが感ぜられた。

阿房列車で宿の名を挙げるほど気に入りだった内田百閒のものもあるだろうとずっと探索したが縁の著名人にもその名はなく、偏屈な性格を忌み嫌われていたのか、全く形跡が残っていない。山の上ホテルが檀一雄の名を避けるのに似たようなことなのだろう。泉下の先生も「止むを得ないものは止むを得ない」としかめっ面でぼやいているやも知れぬ。
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さらに西に進んで西園寺公望終の棲家である坐漁荘も覗いてみる。百鬼園先生は何の感興も催さないと書いているが、名勝清見潟が埋め立てられた今となっては、猶更その感が強い。
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元々の建物は明治村に移築されて重要文化財に指定され、そこはよく考えたもので眼前に水景を臨める立地にしている。だから往時を偲ぶには犬山まで行かないといけない。まとまりのない中学生の自由研究のような資料展示にも些か気が引けてしまい、早々に辞去する。

帰りがけに揚げはんぺんが有名だという魚屋に寄ったら売切と不運が重なる。それでも最後の目的地、家康が人質時代を過ごした清見寺には立ち寄ってみる。
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門前を東海道線が横切っていることで有名な寺だが、全く人の気配がせず少し気味が悪かったので、庭をぐるりとしただけで帰ることにする。なお、柑橘類の名に「清見」とあるのはこの地に由来するとのことだった。

興津の街は御多分に漏れず閑散としているが、それでも街道筋に1軒、駅前に2軒和菓子屋があったので、その名も名物家で練り切りを買って帰る。数種あるとのことだったが、この日は桜しかなく少し寂しい。太陽の光が燦燦と降る土地柄だから発色が強い。造りはごくごく一般的なものだった。
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不完全燃焼のまま興津を後にし、百鬼園先生宜しくスイッチバックして新蒲原へ向かおうとしたところ、構内放送で「沿線火災によりダイヤが乱れ遅れが出ている」と流れてきた。こちらとは違って燃えるとこでは燃えているようだ。ここまでなんとか事故の類は逃れてきていたが、最後になって捕まってしまったかと諦め気分でホームに降りたら、すぐに列車が来て吃驚する。しかも朝夕並みに混雑していたのでより驚かされる。

遅れで各駅に溜まっていた客をたっぷり孕んだ列車は10分ほど行くと新蒲原に着いた。
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ここにある御殿山は桜山として知られているとのことで、時間つぶし方々花見をしようと思う。

誘導看板はあるものの、人通りはなく不安な気持ちのまま5-6分ほど行くと麓の神社に着く。
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そこには桜祭りの準備をする人が大勢集まっていて、その頭上にはほぼ満開を迎えた桜が咲き誇っていて安堵した。
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裏山を登っていくと海と街と桜が見えてなかなかの景色だったが、相当の難路だったので名物の吊り橋に行くことは断念して、途中の腰掛で済ます。誰も居らず閑静で、そよそよと風が吹き、木漏れ日も心地よく、まったく気持ちのいい春の日だ。この一瞬を求めて先月来、彼方此方を彷徨ってきたような気にもなる。
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長居すると桜の精に取り込まれてしまいそうだったので、下山して駅前まで戻る。ホームから拡声器の案内が漏れてきて、まだ列車の遅れは続いているらしかった。

2019年3月31日 (日)

東京から18きっぷで行く日帰り旅:往還湘南新宿ライン(上)

18きっぷ旅の御伴はやはり内田百閒の「阿房列車」以上に好適なものはない。読んでいて旅の途上の自らと百鬼園先生とが入り混じって紙上を走っているのか線路上を走っているのか定かではない瞬間があって、その忘我の感じがたまらない。

けれども先生が心浮き立たせて乗車した一等車の感じがなかなか味わえずどうしたものかと思案したところ、長距離をグリーン車で移動すれば擬似できるのではないかと思い付いた。生来の貧乏性から「できるだけ長く乗るには・・・」と調べたところ、湘南新宿ラインの始発が逗子から出ているとのことで、一旦南下してから終点の宇都宮までグリーン車で行くことにした。

逗子で用事を果たさないのは勿体ないとここでも貧乏性が発症して、屈指の高級住宅街披露山にある公園から富士と桜を眺めようと、駅前からバスに乗る。
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時間のない忙しない旅程だったが、秒速10㎝でしか歩けない御老人の乗降で相当に時間がかかったりして、急峻な披露山を速足で登ることになり、朝からゼイゼイ言ってようやく頂上に着く。
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しかしここは海風が冷たいからか桜は咲いておらず、期待の富士の峰も見当たらない。そうしてよくよく目を凝らすと春霞が富士山を秘匿してしまっていた。
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↓期待していた景色はこのようなもの

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↑展望台眼下には豪壮な住宅が数多ある。どれが小田和正のでどれが松任谷由実のなのかは知らない。


ある意味壮大な神隠しを見れたのは稀有なことだと積極的に理解して、早々に下山して駅へ戻る。この山の住人はもはや自分の足で山の昇降が叶わぬと見えて、朝から老人一人を乗せたタクシーが頻繁に通る。麓に降りるとドアミラーがユニオンジャックになったミニがビュンと行く。いずれにも気恥ずかしさを覚え、この辺りがあまり逗子葉山を好きになれない訳なのだと気付く。

駅に戻ると乗ろうとしている列車の発車五分前で慌てる。「グリーン券はJREポイントで交換したものを駅の券売機でスイカに読み込ませるように」となっていたが、慌てていて普通にグリーン券を購入してしまい焦ってしまう。改札で事情を話したら、即返金してくれたので再度挑戦したら無事発券されたので急いで乗車する。
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朝からゼイゼイドタバタと続いたが、矢張り欲張ると碌なことにならない。

グリーン車は大して乗り心地は良くないだろうと思ったら、意外なことにとても快適だった。
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↑SUICAを使った着席システムが洗練されていていい

二階席からの車窓はいつもと違った視座になり、大船の線路沿いの水景は初めて見られたし、慣れ親しんだ御嶽山駅の交差も下からの眺めをきちんと堪能できて、乗車1時間半で荒川を越えて行くまで飽きずにあっという間に時が過ぎ、自分でも驚く。
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走行音が不思議なリズムなのも面白い。「タタタタタタ」というスタッカートを利かせた細切れの拍子で、機械時計の秒針のようでもある。さながら自分の移動している時間が鉄路に刻まれているように聞こえ、耳に障らぬ絶妙な通底音が心地よく、百鬼園先生の気分に肉薄したという事も相俟って高揚感に包まれた。

その後埼玉を抜け栃木に入ると畑ばかりが続く景色になり、
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阿房列車の御供であったヒマラヤ山系氏の著作を読んでさらに気分に浸っていると、
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もう宇都宮に着いてしまった。JR東日本の計らいでこれが追加料金600円相当で楽しめたのは誠に有難かった。
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2019年3月17日 (日)

東京から18きっぷで行く日帰り旅:房総右上鼻眼鏡(上)

銚子を走る銚子電鉄は経営不振でいつどうとなるやも知れないという。廃止が決まってからではドサドサ混み合って面倒なことになるから、世間の目を盗んで今のうちに見ておこうと思い銚子を目指した。

その昔、大学のゼミ合宿を御宿でやる時に列車で行った記憶があるが定かではない。ただ、千葉駅を出てモノレールが見えた時に、ここを昔くぐったという記憶が浮かんできた。その程度のお付き合いしかないから、総武本線が房総半島を突っ切って外房の上半分を通って銚子に行くとは知らなかった。
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↑内田百閒が言うところの房総鼻眼鏡。確かに千葉駅を鼻柱とするとそうなる。

千葉駅から数駅で畑だらけの車窓となり、成東あたりからは瓦葺で平屋の駅舎が見えてきて房総を走っている感じが出てきて良かった。しかし外房の地域に入っても鉄路が海岸から離れているので海の様子はまったくわからず、次第に悶々とする。車内では咳をまき散らす老爺、独り言の絶えない老婆、おさげの右が蛍光ピンクで左が蛍光グリーンの少女が入れ替わり立ち替わりに現れ、終いには刺繍の入ったGジャンに赤いスニーカーの男が手にリンゴジュースの1Lペットを持ってがぶ飲みする事態に。化外感を堪能しているうちにようやく銚子に着く。

個人的には長崎や高松などのどん付きの駅は雰囲気があって好ましく思っていて、銚子もきっとそうだろうと思ったらなにやら余計に線路があちこち伸びていてみっともなく見え、勝手に失望してしまう。その途上に銚子電鉄が止まっていて、なんともこのけじめのない感じがらしくていい。
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車両は相当に古く、幼少期に楽しみにして乗った京急の600系を彷彿とさせる。車内にはバズーカを抱えた大きいお友達がのっしのっしと歩いてカシャつかせていて興醒めだったが、車両が動き出すとさすがに席に座ったので安堵する。速度は概ね20㎞程度、また駅に止まるごとに大仰なブレーキ音がして、いかに今の電車が洗練されているのかを知らしめてくれた。

目的地に設定した恋ヶ浜は駅前にキャベツ畑が広がっていて、浜など見えないがなんとなく南国風に仕立てた駅の雰囲気。
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ここまで一切海らしい景色に出会わず、その渇望感が高まっていたので畑を超えて防砂林の向こうに海景が見えたら年甲斐もなくときめいた。
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そうして眼前是海となって、一気にカタルシスを味わう。犬が吠える岬とはどんなものかと思っていたが、こんなものだった。
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外房の海は子供の時分に海水浴に行っていたから慣れっこのつもりだったが、とんでもないとんでもない。
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波濤の手前に石の腰掛があったので、そこで荒々しい波音にもまれながら早めの昼に手弁当を食べた。時折しぶきがかかって、一汐増すのが面白い。
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内田百閒も銚子から車で犬吠埼まで出かけていて、その途上大きな犬に吼えられながら執拗に追われて怖い思いをしたと書いているが、果たしてこれだけの波音を凌駕する犬吠えがあるのだろうか・・・と思いながら、駅へと戻ってまたガタガタ電車に揺られて銚子に戻る。

次に乗る電車まで時間があったのでロータリーをぐるり。勝手に千葉東端の雄とのイメージを抱いていたが、何のことはない田舎の街で少し寂しい。
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そこをつけこむようにレオパレスが駅真ん前に路面店を出していたり、加計学園の千葉科学大学が進出していて嫌な気持ちになる。
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まだ時間があったので、その名も待合室という喫茶店でコーヒーを飲んでいると、そこでの話題は小学校の統廃合。「あそこがなくなったら、津波が来たときどこ逃げんのさ」という切実な話で、多分加計学園に数十億献上してしまっているから、これから市政は増々厳しくなることだろう。
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全く太平洋の荒波で諸々洗い流してしまいたい気分になって、銚子を後に成田へ向かった。今度は利根川沿いに進む成田線に乗っての旅で水郷のような車窓が楽しめるのかと思ったが、特段の変化はない。遠くに鹿島のコンビナートが見えたぐらいの変化だった。花らしい花もあまり見えず、茶色い畑と黄土色の薄野が入れ替わり立ち替わり現れ眠気を誘う。その内遠くの空に着陸態勢の飛行機が何機か見え、急なカーブをキュルキュル曲がったら成田に着いた。

2016年5月 7日 (土)

「窓ぎわのトットちゃん」ゆかりの地を巡る(自由が丘周辺)

【トモエ学園跡】

先日始まった「トットてれび」は初回が抜群に面白かったものの、やや尻つぼみ感がある。後半の盛り返しに期待したい。そのドラマ冒頭にも出てくる通っていた「トモエ学園」は今の大丸ピーコックがある場所だったとのこと。「窓ぎわのトットちゃん」の巻末では昔を懐かしみ車で訪れた黒柳さんが警備員に「そこ、駐車禁止だよ!」と怒鳴られて涙ぐんだそうだが、子供の頃に馴染んだ場所が他人のものになってしまっている淋しさは私にも判る。子供の頃通った幼稚園はすでに閉園になってしまっているし、大人になるまで住んでいた団地の建物も取り壊されて、今は戸建てが立ち並ぶ分譲地となり面影はない。

 

【九品仏】
ピーコックストアを南に下ると九品仏川緑道があり、今は暗渠だが当時は小川が流れていてそれに沿ってさかのぼっていくと水源となる池が九品仏の北側にあったそうだ。昔の地図をネットから引用する。
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文中ではちょっとした課外授業や夏のきもだめし、農業体験などよく九品仏が出てくる。去年の秋に訪れたが、紅葉の美しい寺である。
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【泉岳寺までの遠足】
忠臣蔵で名高い泉岳寺まで歩いたとの記載があったので、ルート検索してみた。道的には目黒通りをずっと上っていく単純な道筋だが、8km超とかなりの距離がある。前後の話から低学年時分の話のようだから、昔の子供は健脚だったのだなと偲ばれる。

 

【田園調布の教会】
初恋の相手と思われる泰明ちゃんの葬儀が執り行われたのは、テニスコートの近くの教会と書かれている。その昔、田園コロシアムというテニス競技場が東横線沿いにあったそうで、その跡地には広大な庭を持つマンションが建っており、その線路の向こう側に日本基督教団の教会がある。創建の時期なども考えると多分ここと推定される。彼がその後の苛烈な戦火を見ずに済んだのは良かったのか悪かったのか。


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年齢を考えると現役で居続けるには厳しい年齢にさしかかっているのも事実であるし、それを踏まえての紅白の司会やドラマ「トットてれび」の制作、「トットひとり」の出版であるように思える。特に「トットひとり」は全体に寂寥感が覆っていて終盤になるにつれ、胸の詰まる思いがした。

昔、小沢昭一に「私、百歳まで生きる!」と無邪気に話したら、「みんなあの世に行っちゃってるから淋しいだけだよ。」と言われて粛然となったと語っていたが、今この齢になって改めてその言葉を噛み締めているかもしれない。身勝手かもしれないが、甲高い声にハリのあるうちに勇退してもらえればと思うし、そこは過たない彼女であると信じたい。

2015年6月30日 (火)

林家正楽の紙切り芸を堪能する

林家正楽は今三代目でとぼけた紙切り芸で知られている。先日その三代にわたる芸をまとめた本の出版記念特別興行が鈴本で開催されていたので足を運んだ。

いつもは軽い扱いの紙切りだが、この日は弟子の二楽と二人で高座に上がって同じお題で競ってみたり、二人の切り絵(鳥と馬)を合体して一つの絵(ペガサス)にするなど、まさに空前絶後の紙切り芸で、その腕と発想の見事さに感服した。

その後正楽だけの独演となったが、そこでは美空ひばりの「川の流れのように」に合わせてひばりの一生涯と戦後の様々な出来事が膨大な切り絵によって再現され、大笑いしたり懐かしがったり、最後には涙がこみ上げ胸が熱くなりすらした。実際満席のあちこちですすり泣く声が聞こえ、まさに走馬灯のようにスクリーンに展開される絵巻物に観客は皆酔いしれ、終わった時には未だかつて寄席では出会ったことのない拍手喝采が起こった。

いつもは飄々と紙切りをこなす正楽からは想像もつかないドラマティックな演出で、鉄拳のパラパラ漫画に通ずるものを感じたが、それよりも芸への探求心が勝っている分、感動の度合いが大きかった。

この後トリで一之輔が高座に上がって開口一番「蛇足だってのは重々承知なんですよ!」と言っていたが、それを物ともせず「鰻の幇間」で客席をさらに湧かせたのだから大したものだったし、この世代はしばらく彼が支えていくことになるのだろうと確信させられた。このほかホンキートンクの緻密で重層的に練り込まれた漫才は非常に巧妙で正直驚かせられたし、この日の寄席は自分史上ベスト3に入る見事なもので、改めて芸人の芸の凄さを見せつけられて爽快感すら感じる夜だった。
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2015年2月 1日 (日)

秋に横浜と湘南を巡る1:葉山と茅ヶ崎

秋に何度か湘南・横浜界隈に出かけた。県民だったがあまり有名な観光地には足を運んでいなかったので異邦人気分が味わえた。

【葉山・加地邸】
家人が逗子・葉山に地縁が出来て色々な風聞に触れることになった。例えば夏頃に自伝を読んだ新藤兼人が住んでいたことを知ったり、豪邸しかないという披露山には筒美京平の自宅があって、ドリームランドに住んでいた横山剣は子供のころ自転車で見物に出かけたという。電車で10分ちょっとの所に住んでいたが海水浴の街としての認識しかなく、こういうハイソサエティーが存在していたことは知らなかったし実感がなかった。


そんな葉山に昭和初期のモダニズム建築を象徴するような加地邸があり、今後の保存に向けて一般公開されるとの話を聞いて足を運んだ。フランク・ロイド・ライトの弟子である遠藤新が設計したとのことで、旧帝国ホテルや旧首相官邸のような強い直線が生かされたスタイルで、その質実剛健な風情に懐かしみを覚えた。
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(写真はネットから引用)

【茅ヶ崎】
開高健記念館で「ずばり東京」展が開かれていたので足を運んだ。展示を見て初めて知ったが、文庫本には未収録のルポがいくつかあり、これはいつか全集を借りてきて拾い読みしようと思う。
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書斎の近くに「ずば東」当時の写真があったが、これは杉並の頃の写真だからかなり痩せていて神経質そうな印象だった。

見学後すぐ近くの海岸へ行く。今は放流事業のおかげで湘南の海岸ではヒラメのルアー釣りが盛んだが、開高が存命なら没頭できるロケーションだな・・・と思って松林を抜けるとサーファーたちの大船団が沖に展開していてそれどころではない状況だった。
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【みのり食堂】
海岸から茅ヶ崎駅まで戻ってきて昼食をとる。北口のペデストリアンデッキを降りたところにあたりをつけておいた「みのり食堂」があり、中に入ると期待通りどっぷりと昭和の雰囲気に浸かることができた。コンクリートの三和土や自作と思われる無骨なテーブル、入口にある手洗い場など、狙って出来るものではない風格がある。
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少し肌寒かったので酒を頼むと、ありがたいことにつまみにとおでんが添えられてきた。古風な味わいの「黄桜」に出汁の風味がよく合って美味しい。
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注文した五目中華は卵がポーチドエッグ方式でメンマがたっぷり乗っていた。湘南地区ではこういうスタイルなのだと知り、あちこちで食べてる身としては面白く感じる。一方家人が頼んだラーメンはすっきりとした見栄えとやさしく淡い麺と出汁が心と胃の腑に沁みる一杯で、食べ終えた時にほっとする味わいだった。
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開高健記念館で東京オリンピック前後の資料を見た後だっただけに、より一層趣深い訪問となった。このお店がきちんと生業を続けている辺りに茅ヶ崎の人々の懐の深さを感じることが出来た。

みのり食堂定食・食堂 / 茅ケ崎駅北茅ケ崎駅
昼総合点★★★☆☆ 3.4

2014年10月16日 (木)

阪神間文化逍遥旅6:司馬遼太郎記念館

JR東西線で放出(はなてん!)まで行き、おおさか東線に乗り換え河内永和まで行く。高架線から見える景色は小さな工場が中心で中小企業の一大密集地として知られる東大阪一帯の雰囲気を知るには良い車窓だった。

河内永和で近鉄に乗り換えたが、駅前の再開発に失敗したのか空き地に網フェンスが巡らされて少し不穏な空気を感じた。近鉄線に乗ると「雑端市」という吊り広告があって、いわゆる百貨店の大売出し企画のようだったが、はなてんと言い言葉がいかにも西の感じがあって印象に残った。

司馬遼太郎が居を構えた八戸の里駅はごくありふれた郊外の小さな駅で、記念館に向かって歩くと商店もほとんどなく住宅街に入る。どの家もこじんまりとした普通の家並みが続き、この辺りが特段知られた住宅地ではないことが見てとれた。周辺の雰囲気は池波正太郎の自宅がある荏原界隈に似ていて、うなるほど印税が入ってきても庶民の生活の中に棲み暮らした両者の気質には相通ずるものがあると感じた。

記念館の門にはボランティアスタッフが立っていて、館内のそこここにもボランティアが居たが、かなり老齢の方が多かったから、地元にあって司馬の魅力に直接触れた人たちなのかも知れないと思ったのだが、果たしてどうだろうか。
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館内に入るとやはり圧巻なのは蔵書の壁だろう。膨大な書籍の中に「落語大全」や「日本共産党史」など意外な本もある一方、太宰や志賀直哉などの選集などもあり、そういえば池波が”文体の手本にしているのは谷崎だ”と書いていたのを見たことがあるが、果たして司馬は文体は誰のものを最も多く吸収したのだろうか・・・などと思いを馳せることになった。
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館内で放映されていた生前の実際の書庫の様子や書斎の様子も見られて満足した。ボランティアの高齢化や安藤忠雄設計の建築であることを思うと前途はなかなか難しいように思う(実際早くも大がかりな外壁の補修工事をしていた)が、戦後唯一といっていい国民作家の息遣いを感じさせる場所として末永く守ってもらいたいと願った。

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2014年10月 5日 (日)

阪神間文化逍遥旅5:サントリー大坂本社・藤田美術館

【サントリー大坂本社】

阪神で梅田に着いて地上にあがり四ツ橋筋を南に下ると先程御影で通った国道2号が現れ、そこから東へ少し行った梅田新道の交差点は国道1号の終着点だという。住んでいる品川を通る国道1号がここまで続いているのかと思うとなにやら感慨深い。

その通りを南に下ると「キタ」と呼ばれる北新地で、それはつまり曽根崎新地だから「曾根崎心中」の舞台で、今は今で男と女のあれやこれやの権謀術数が渦巻いているらしいが、昼は閑散としていた。さらに下ると江戸の頃に米会所が開かれ日本経済の中枢を長く担った堂島に入り、やがて右手にサントリー本社が見えてくる。
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ここで開高健は採用され、約二年間数多のコピーや「洋酒天国」を生み出す揺籃期を送り、東京へ羽ばたいた。当時は妻の住まいだった杉本町に身を寄せていたそうなので、天王寺まで出て地下鉄か市電で通っていたのだろう。
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↑往時の本社(ネットより引用)

現在は本社機能が東京の台場に移転しており、また今の建物は70年代初頭のものらしく側壁にはヒビがあったりして、関西系企業の雄であるサントリーの根拠地としてはやや寂しいものがあった。

【藤田美術館】
北新地へ戻りJR東西線に乗って大阪城北詰駅で降りる。駅出口からすぐの藤田美術館には住居表示板が張り付けてあり「網島町」とあったので、帰京後調べてみるとやはり「心中天網島」の舞台となった場所だった。

思いがけず近松の名作所縁の地を巡ることになったが、ここへ来たのは天下の大名物「曜変天目茶碗」を見る為だ。丁度開館60周年記念展をやっていて、展示されているものはほとんどが国宝か重文という重量級の展示ながら、藤田家の蔵を改装したというこじんまりとした美術館だからか、混み合うこともなくじっくりと鑑賞できた。

なにより曜変天目を間近で、しかも独占する時間を持てたのは天佑とも言うべきもので、掌に封じ込められた小宇宙の蒼を飽くことなく眺めてはうっとりと見蕩れた。曜変の内、随一は静嘉堂文庫のものだというから、これもいずれかの機会に鑑賞して、どちらの方が重引力を持つのか確認してみたいと思った。
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(写真はネットより引用)